とにかく映画が好きでした。
特にアメリカ映画。
なので、中学生くらいから、なんとなくアメリカで働きたい、と思っていました。
高校生になり、アメリカの大学に行きたいと思い、本屋さんで「海外留学」の本を買いました。
ただ、本を読んだだけで、実際に留学するための勉強も行動もしませんでした。
お金のこともありましたが、「自分には無理だ」と思ってしまったからです。
大学は英米語学文学科に入学しました。映画研究部に入りました。
映画が好きなので、映像、ビデオの世界で働きたいと思い、学生時代にビデオプロダクションでアルバイトを始めました。
これがキツかった!
映研で8ミリ映画を撮ったり、個人でビデオ撮影、編集をするのとは全然、違う!(当たり前だけど)
で、2番目に好きだったこと、文章を書くことを職業に。
それも、特別な理由やきっかけがあったわけではなく、たまたま林真理子さんのエッセイを読んで「コピーライター」という職業を知り、大学4回生のときに大阪のコピーライター養成講座に通い始めました。
これが面白かった!
「よし、コピーライターになるぞ!」と決めました!!!
ただ、就職試験では受けても受けても落ちる。
受けても、受けても、落ちる。
就職試験には「卒業見込み証明書」を大学の就職課でもらって(実際には確か1通600円で買うのですが)、申請する必要があります。
それで、最初は5通ずつとかもらっていたのですが、 受けても、受けても、落ちるので、まとめて60通を就職課に申請しました。
就職課「あの~松本さん、必要な枚数ですけど、6通ですよね?」
松本「いえ、60通です」
就職課「60通ですか? 60通も必要なんですか? 何に使うんですか?」
松本「(ため息をついて)はぁ~。いるんです。就職試験に受けても受けても落ちるので。それで60通、いるんです。(もっといるかも知れないぞ)」
で、幸運なことに東京のある広告代理店にコピーライターとして入社。
「日本一のコピーライターになるぞ!」と思い、働きながらも夜、コピーライター養成講座の専門コースに通う。
ただ、うえにはうえがいるもので。
「このひとには(将来的にも)コピーで勝てない」と思えるひとが、ちらほらとまわりに現れる。
よし、それなら競争の少ない場所に行こう。
国際的に活躍している日本人のデザイナーやアートディレクターの名前は聞くが、コピーライターの名前はまず聞かない。まあ、それは当たり前でコピーライターの本職は日本語で文章を書くことですからねえ~英語とはあまり縁がない。
よし、それなら私がインターナショナルコピーライター、第一号になるぞ!
そして年齢的にはかなりぎりぎりのワーキングホリデーを利用して、カナダのトロントへ。
運よく、日系のテレビ・ラジオ・新聞を扱っている企業に新聞配達、エッセイスト、コピーライターとして採用。
その後、珍しいことにニューヨークのアジアンアメリカンマーケットの広告代理店が日本語のコピーライターを募集しており、運よく採用。グリーンカードを申請。5年後に取得。
すみません、前半、あんまり意味がないのに長くて、その分、後半の大切に思える部分が短い。
あえてポイントをあげるなら、私はなにも英語がべらべらだったわけでもないし、アメリカに知人がいたわけではありません。
中レベルの公立高校で、中レベルの成績で、ほとんど誰も名前を知らない大学を卒業して、ぎりぎりなんとか社会へでて、ワーキングホリデーを利用してカナダへ行き、運よくニューヨークで仕事が見つかり、ラッキーなことにグリーンカードもとれた。
ポイントは、特別なひとだから海外移住できる、というわけではない、ということ。もちろん、時代時代の状況はあると思うのですが。
米国移住でいえば、私のように仕事を通じて永住権(グリーンカード)をとるひと、抽選で永住権があたるひと、アメリカ人と結婚するひと、アーティスト活動から永住権をとるひとなどがいます。
時代時代によって、ひとそれぞれのやりかたがあります。
その具体例をまた紹介していきたいと思います。
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